加計呂麻島へ行ってみたい。奄美に来てから、なんとなくそう思っていた。
加計呂麻の美しい海と、寅さんの家、昔ながらの暮らし
そんな島を訪問してみたい、と思っていた。台風が過ぎた次の日曜日
台風の過ぎ去った後に、島の日帰り旅行を決行した。
加計呂麻への行き方は、フェリーを使う。
名瀬から古仁屋までは45km、車で1時間。
古仁屋港から瀬相港まではフェリーで約15分、短い航海で到着する。
車の乗船料金は往復で5900円ほど、事前に電話予約が必要となる。
せとうち海の駅で チケットをもらうと、時間があるので、のんびりと待つ。
古仁屋港に乗船予定のフェリーが到着。
海の駅に立っている加計呂麻紹介の地図。古仁屋と加計呂麻には、第二次大戦時の砲台跡や島尾敏雄で有名な、震洋隊基地跡など、戦争の記憶が残っている。
古仁屋の町を出航。
しばらくすると、加計呂麻島はすぐに見えてくる。乗船時間はあっという間に終わる。
フェリーを降りたら、第一の目的地、実久(さねく)海岸へ車を走らせる。
瀬相の港から17kmの距離、車で30分。途中、雨も降ってきて、少し天気が不安。
実久海岸の道路には、サンゴでできた石垣が残っていた。
実久ビーチの朝。白浜の静かなビーチ
昨日から宿泊しているであろう、家族が2組、堤防付近にテントを張っていた。
楽しそうに泳いでいる子供たちに、「魚いる?」と聞きながら、水中眼鏡をかけて海へダイブ。
海の中は、サンゴの残骸が・・・、あまりに残っていないサンゴにかなりショック
ようやく出会えた、ツノダシ。
やっと残った、テーブルサンゴ・・ 期待が大きかっただけに
落胆も大きい、形の良いサンゴはほとんど見ることができなかった。
サンゴと魚を探して、泳いだが、あまり見つからず。すこし落胆しながら岸にあがる。
気を取り直して、次のビーチを目指して、車を走らせることに。
実久三次郎神社は、偉人伝説のある神社なのだが、今日は、時間が無いので、次の機会に見ることにしよう。
第二の目的地、加計呂麻の南海岸に位置する、須子茂海岸へ、実久からは、14kmだが、山道が多く、車で約40分かかる、細長い島なのだが、狭い山道が多い。
須子茂海岸は、少し波があるが、美しい海岸線。浜に降りると、グンバイヒルガオの花が迎えてくれた。
誰もいないビーチをしばらく眺めていたら、作業着を着た漁師が一人もりを抱えて、海に入っていった。これは、魚がいるサイン。
急いで、水着に着替えてシュノーケリング。
水深は2m~3m、海の中はサンゴの群生と魚の群れが見える。透明度も高く。魚も多い。
群れで泳ぐタカサゴ、黄色いラインが健やか。
警戒感が強いカスミアジを発見。泳ぎが早いので、なかなか写真を撮るのが難しい。
黒っぽい体に、白い尾びれのシコクスズメダイ?の群れ。
サンゴの上を、舞っている。
須子茂海岸は、サンゴの群生と魚の群れが見れる、おもしろいビーチだった。
さて、さきほど海に入った漁師は?まったく影も形も見えず、どこで、魚を狙っているのか、美しい海はどこまでも続いている。
泳ぎ終わって、黒砂糖とがじゃ豆を食べながら、最後の目的地、徳浜へ行くことに。
徳浜までは、28km、車で1時間20分かかる、到着するのはPM4:00頃
泳ぐのにぎりぎりの時間だ。帰りは生間(いけんま)港で帰港する予定にしとけば良かったな、と後悔してもはじまらない。
南岸から北岸へ向かう山の中に、奄美のバス道路から直接見ることができる、嘉入の滝が現れた。一服の清涼。瀬相港からは車で15分。
加計呂麻島も、島津藩政時代は「黒糖地獄」と呼ばれる時代が続いていた。嘉入の滝の上流には、役人の目を欺くために作られた田んぼや、ソテツで区切られた段々畑の跡が残されていると言う。
徳浜に到着。浜に出る手前に寅さんのロケ記念地の看板が立っていた。
「男はつらいよ」第48作目「寅次郎紅の花」渥美清さんとリリーこと、浅丘るりこさんの写真が目に入る。いいね。こんなロケ地でこころあたたまる映画。
ビーチに出ると、まぶしいぐらい白い砂の反射に、コバルトーブルーの海が広がり、これぞ奄美の海と思える色。
カヌーを漕ぎながら、遊ぶ家族づれが1組、楽しそう。のんびりした時間が流れている。さっそく、水中メガネをつけて、海の中へ。
波打ち際の、透明度は抜群。
サンゴ礁の群生、リーフ内の水深は1m~2m。ユビエダハマサンゴの群生が広がる。
塊状ハマサンゴと小さなスズメダイ。
サンゴ礁の影には、魚が隠れている。
透明度が高く、外側のリーフに囲われた、静かな海、泳ぎの苦手な人でも全然大丈夫な海。すぐ近くにサンゴ礁が続く。時間があったら、もっと泳いでいたい海。残念だが船の時間がせまってきたので、早々と海から上がる。次回は。ゆっくり泳いでみたいビーチだ。
大阪から来た青年は、カメの卵を産んだ後に目印がついていたと、教えてくれた。
ここは、加計呂麻島の東の端。ウミガメの産卵場でもあるのだ。
帰りぎわに、車が1台しか通らない山道から、海が見えていた。
対向車が来たら、すれ違いできないような山道だけど、苦労して行く価値があるビーチだった。
雑誌で知っていたのだが、左側の岩はライオン岩と言われる、岩があったのだ。
そんなこと思い出すこともできず、時間追われてしましった。
身支度をして、瀬相海岸へ向かう。PM6時出航の船へ乗らないと、帰れなくなる。
実は、時間があれば、安脚場に行く計画だった。
昭和16年(1941年)に勃発した第二次世界大戦、大島海峡は戦艦の中継基地として整備されていた。連合艦隊の泊地や海軍司令部など一帯の防衛を目的に、軍事施設が築造された。
戦争を知らない、私達が、忘れてはいけない記憶が、加計呂麻の自然の中、いたるところにひっそりと残されている。